さぁ、いろいろあった20世紀も終わり、21世紀に突入したわけだけど…でも、いったいどこかどう21世紀?なんて思ってしまうよね。ま、それは後々、気がつけば、いかにも21世紀らしい生活をしてるンじゃないかってことで。そんな時代がやってくる前に、20世紀という時代をふりかえっておこうじゃないの。…と言っても、いくら最年長のエフマガ読者だって、20世紀をすべて見てきたという方はいない。だから、ま、20世紀の後半が主になるとは思うけれど。で、待っていたの。今月も、みんなからのアンケートを。先月号の『理想の恋愛』が悲惨だったから、今月はだいじょーぶよねなんて思ってたけれど…。どーも、編集部の読みは甘かったようだ。ちょうど年末年始のくそ忙しい時期だもん…と言われれば、確かにそうだけど。でも、2ヶ月続けて、アンケートの返りがパラパラってのはちょっと悲しい。でも、でも、だからって特集はやめますってわけにもいかない。いいさ、いいさ。参加してくれた読者の意見をもとに、20世紀を振り返ってやるさ。あ、でも、そういうわけなので、当初予定していた“ベスト&ワースト10”を変更し、“ベスト&ワースト リスト”に変更した。だって、ランキングを集計するにはアンケートが少なすぎるし、せっかくの意見に甲乙つけがたいんだもん。ま、アンケート送ってくれた人も、送ってないけど読んでくれてる人も、みんな一緒に20世紀へタイムスリップ〜!というわけだ。
アポロ11号、月面着陸。
人類史上、歴史的なその瞬間は、1969年7月20日(日本時間21日)に起きた。
そもそものきっかけは、人口衛星の開発で(旧)ソ連に遅れをとっていたアメリカの巻き返しのための
作戦だった。それが月面着陸計画『アポロ計画』だったのだ。アポロ計画は、1960年に発表され、
その後、1967年に訓練中に3名が死亡する事故が起きたりもしたが、1969年5月にはアポロ10号で
月面から14kmまで接近することに成功。そして、その2ヶ月後、アポロ11号に乗った
アームストロング船長が、人類初の月面着陸の第一歩をしるした。現在では、月面着陸も当たり前。
宇宙ステーションの計画や、一般人の宇宙旅行も実現しそうな勢いだ。
これも、すべては、このアポロ11号の歴史からはじまったことである。
推薦のことば
●世界に夢を与えたニュース。(H)
●宇宙のことを知る大きなきっかけをくれた。私にも行かせろ〜!(ユーキ)
そのほかのベスト・ニュース
サッカー・日本代表、W杯フランス大会初出場。
1997年11月17日、対イラン戦。延長後半13分、中田が強引に打ったシュートがGKの手をはじき、猛スピードで走り込んでスライディングしてきた岡野の足にあたり、ゴ〜〜〜〜ル!!日本代表が、悲願のW杯出場を決めた瞬間だった。まだJリーグもない頃、サッカーの試合なんて身内以外誰が観るねんとうい時代から考えると、夢のようなできごとだった。しかし1998年に開かれたフランス大会は、ゴンちゃん(中山雅史)が対ジャマイカ戦で1点を入れたものの、1勝もできずに予選大敗という結果に…。歴史的なできごとでうれしくもあり、しかし実力を思い知らされた大会でもあったのだった。が、この後、日本が世界に誇れるサッカー選手、中田英寿を生むことになる。フランス大会での結果は良いとは言えないけれど、それまで気にも止められなかった日本のサッカーが、世界の強豪国に知ってもらえるようになったことは、ある意味、大きな進歩だったはず。2002年のW杯は、日本と韓国の共同開催で行われる。開催国として、どれだけの結果が出せるか、楽しみなところである。
推薦のことば
●とりあえず、うれしかった。(なば)
●ジャマイカ戦で決めたゴンちゃんのゴールは、一生忘れないと思う。(編A)
ベルリンの壁の崩壊。
1989年、第2次世界大戦後、ベルリンを境にドイツを東西に分断していた壁が民衆によって壊された。先頃、カップヌードルのCMの(永瀬正敏出演)『20世紀カップヌードル』シリーズでもその映像が使われていたのも記憶に新しい。東西冷戦時代の終わりを告げる象徴的なできごとだった。
推薦のことば
●一緒になれて、良かったね。(きさっちいのの“の”)
南アフリカ、アパルトヘイト撤廃。
1948年、オランダ系白人、アフリカーナを基盤とする国民党の単独政権が確立。黒人、カラード(混血)、インド系人を政治的、経済的、社会的に差別する制度的に強化拡充され、アパルトヘイトと呼ばれるようになった。この白人優越主義に基づく人種差別は、白人が入植してきた17世紀ごろからはじまっていて、白人の政治・経済・社会的特権を維持するための人種差別制度の確立に力点がおかれていた。が、1976年6月、南アフリカ最大の都市周辺部黒人居住区だったソウェトで、アフリカーンス語(南アの公用語のひとつで、オランダ系白人、アフリカーナの言語)の強制学習に反対する黒人の中・高生のデモが起き、これを契機に大規模な反アパルトヘイト暴動が起こる。これによって政府が差別法を順次撤廃し、1991年にはアパルトヘイトが全撤廃した。そして1994年4月、南アフリカ史上初の全人種平等の議会選挙が行われた。これによって、ネルソン・マンデラ氏が大統領に選出された。
推薦のことば
●差別のない世界、平和。(こごとおやじ)
●大統領になったときのマンデラさんの笑顔が忘れられない。(ユーキ)
マザー・テレサの一連の活動。
マザー・テレサがインドのスラム街にはじめて『青空教室』を開設したのは、1948年のこと。薬を買って、粗末なサリーをまとってスラム街に立ったとき、所持金はわずか5ルピー。「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです」と彼女は言ったそうだ。1950年にはインドに帰化し、12人のシスターと共に、貧しい中のもっとも貧しい人に仕える修道会『神の愛の宣教者会』を設立し、総長に就任。このときから、彼女は“マザー・テレサ”と呼ばれるようになった。その後、1952年には路上で死にそうになっている人を連れてきて最期をみとるための施設『死を待つ人々の家』を開設、1955年には孤児のための施設『聖なる子どもの家』を設立、1968年にはハンセン病患者のコミューン『平和の村』を、1975年には学校・病院・作業所を持つ複合センター『プレム・ダム』を開設。そして、1979年にノーベル平和賞を受賞。1997年3月に病気のため総長を引退するまで、インドだけに止まらず、日本など各地で講演を行ったり、精力的に活動を続けていた。しかし、1997年9月6日、「もう息ができないわ」の言葉を残し、永眠した。
推薦のことば
●なんでも“偽善”と思ってしまう私なのに、“偽善”と思えない人だった。(みかん)
●故人になったしまわれたが、彼女のやってこられたことはきっと、後世に続いて行くと信じている。じつは、彼女、無類のチョコレート好きだったらしい。(ブヒョー)
おぼえてますか?こんなエエ話もありました。
読者・Hの推薦「日本とロシアの共同での救出に、感動しました」。
コンスタンチンくんの手術
1990年8月20日、(旧)ソ連のサハリンで3歳の男の子、コンスタンチンくんが過って熱湯が入ったバケツを倒して大やけどを負った。彼の両親は、なんとかたすけたいという思いで、医療技術が進んだ日本での治療を希望。北海道庁に連絡が入り、ビザ問題などさまざまな問題が外務省、法務省、海上保安庁の間で検討された結果、見知らぬ男の子の命を救うために国境を越えた救出劇が繰り広げらた。海上保安庁のヘリがサハリンへ飛び、コンスタンチンくんを乗せ、札幌医科大へ。コンスタンチンくんは、一命をとりとめた。
読者・風子の推薦「皇太子様!結婚できてよかったねぇーと思ったです。雅子様キレイだし…」
皇太子&雅子さまご結婚
1993年6月9日、皇太子徳仁殿下が小和田雅子さんと結婚。皇太子が押せ押せで、外務省キャリアの雅子さまをゲット(あ、なんか失礼な表現かもしれません。戦争中なら、拷問だな)。よかったですねぇ〜。ホント(いろんな意味で国民が感涙)。